黒人差別は今に始まったことではないが、
ニュースで話題になったのが記憶に新しい。
事件の内容が過激だったこともあり、尚更話題を呼んだのだろう。
思ったのだ。
「まだそんな肌の色というレベルの差別が世界では起こってるのか」と。
誹謗中傷による自殺事件にも言えることだが、
思った以上に世の中は進んでいないと感じて、驚愕した。
…今話題になるのはそこ?
「差別というと何を思うか」
今の自分が拙い頭で考えたことは以下の通りである。
ここに宗派とかが根本に絡んでくるともっと複雑だが、そこは専門家でもないので一旦置いておく。
目次
- 身の周りではどうか
- 日本だからといって人種差別がないのか?
- 差別はそれだけだろうか?
- 実際に遭遇した「差別」
- なぜそのようなことが起こるのか
- こんなの絶対おかしいよ!
- 実際に遭った差別
- 肥えるフィルター、人一倍強くなる警戒心
- 固定観念に抗うということ
- 自身を振り返ってみる
- 「自身を振り返って」の「解」
- 右に倣えの疑問
- 正直に生きるのは心地が良い
- 一番怖いことは無知
- 声の大きい方、意見の多い方=「正解」ではない
※内容を分けるため、裏ブログに詳細を書いた内容もある。
過去書いたブログの中では長め、出典や引用の仕方に間違いがあるかもしれない。卒論が懐かしい…
一部自他共の過ちにも触れているため読み手の受け取り方に委ねる部分もあるが、第三者を批難する意図はない。
身の周りではどうか
身の周りでは黒人差別というのはあまり感じたことがなかった。
高校では実際に黒人の留学生がやってきた。
最初は言語は何で話しかけるべきか皆に戸惑いがあったものの、
いつの間にかクラスに溶け込んでいて、
彼女も当初よりずっと日本語がわかるようになった。
彼女の人と壁を作らない明るい性格や、日本語への強い学習意欲があったからかもしれない。
登下校で姿を見かけたら、「一緒に帰ろう」と言わずとも学校の坂下まで一緒に歩いていた。
会話こそシンプルなものだが、言葉のキャッチボールはとても自然だった。
帰国するというときに寄せ書きを求められたので、
こちらも小さめの自由帳を渡して「私にも何か書いて!」とお願いした。
彼女は時々筆を止めて悩みながらも、
返ってきたそれには、ページいっぱいにメッセージが沢山書かれていて嬉しかった。
友達になるのに、人種なんて関係ないのだということは言わずもがなだった。
ちなみに、皆は彼女の名前を呼び捨てにしていたが、私は敢えて呼び捨てにしなかった。
他のクラスメイトと変わりなく接したいからという気持ちの現れの結果だったと思っている。
本人も特に何も言わなかった。
だから個人としては、日常では外国のように目立った人種差別を感じたことはなかった。
日本だからといって人種差別がないのか?
先程、外国ほど過激な人種差別を感じないとは言ったが、国産人間である自分からしても正直ゼロでもないとも感じる。
ネットを見てみるとわかるがスラング等も含め、差別発言じみた書き込みも珍しくない。
現代のみならず、昔の話では使い捨てカメラの別の言い回しがあったようだし、差別というものは元々無かったわけではないことがわかる。
既に国内は日本人だけが住んでいるわけでもないのだし、発言には気を付けるべきではあると思う。
そう言うと誰の肩を持ってるのかみたいに言われそうな風潮も好きではない。
兎に角、問題はそこじゃない。
それぞれの国柄もあるから完全理解は難しいのだろうけど、
新大久保駅の話は知っているし、学校でアジア圏の人と交流する機会もあったことから
ひとくくりに皆悪い人みたいに見たらだめだろうというのが個人のいち意見。
日本人にしても、マナーが良いという印象があったらしいが、
渋谷ハロウィンの問題等を例に見ればマナーが良い人ばかりでもないことがわかる。
それと同じなのだと思う。悪い人もいるだろうが、良い人もいる。
だから人種等のカテゴリで否定するのは間違ってるのではないかと。
差別はそれだけだろうか?
振り返ってみると、奴隷の話・迫害の話以外にも部落差別の話・障がい者の話。
国語でも社会でも道徳でも、これらの話は義務教育の時点から取り上げられていたと思う。
当たり前だが、そしてどれも差別を是としていない。
先人の過ちを繰り返すことのないよう、無知が招くトラブルが起こらぬよう。
「学校は教育機関としては進んでない」と思う部分も沢山あるけど、税金がかけられてまで託された誰かの願いなるものがそこにあったのではないかと感じている。
それでも、やっぱり規模の大小はあるにしても差別や偏見はきりがない程世の中にはまだあると感じている。
(参考:日本にある差別をまとめた一例
https://gooddo.jp/magazine/sdgs_2030/reduced_inqualities_sdgs/9053/)
「ガイジ」「アスペ」これらの言葉にはがっかりした。障がい者差別だろう。
独身差別なんてのもまだあるようだし、体と精神の性の不一致による生きづらさを抱えている人も多いが、まだ世の中の理解が進んでるようには見えない。
日本では人種差別のように目立つものがない代わりに、
陰湿で複雑な差別が多いように感じるのは気のせいだろうか。
現代は多種多様な生き方があることだし、
もうちょっと、みんな違ってみんないいふうにはならないものだろうか。
実際に遭遇した「差別」
代表例としてはスクールカーストだ。
(wiki:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88)
これが一番身近な差別ではなかっただろうか。
経験上、これは二種類があったと感じた。
先生が学生に対して格付けするいわゆる「えこひいき」の場合と、学生同士で格付けする場合。
先生→学生へのえこひいきは、ざっくりいうと特定の人がいつも目をつけられ、小さなことで必要以上に吊し上げられていたのが一例だ。
教室の中には、「ああにはならないように…」みたいな空気が走っていたのを覚えている。
残念ながらこれは職場にも同じ構図が見られる場合があり、学校でしか起こらない問題でもないようだ。
一般的な後者のカーストは、特に中学校で目立っていた。
下に行くほど理不尽な扱いを受けるのである。
ハブられたり精神攻撃等で大勢で一人を追い詰めたり、もはや「いじめ」と変わらないケースも少なくない。
例を挙げると、HoneyWorksの「ハートの主張」の動画は、女子の黒い世界をよく表している。
些細なことで教室の底辺に追いやられる側は、損な役回りである。
時には「スクールカースト」がクラスに留まらず、学年という規模で起こっていたゆえ、
クラス替えがあってもその風潮は変わらなかった、なんてこともあった。
※個人の感覚やクラス毎の違いもあるので同郷の中にはそんなことなかったと答える人もいるかもしれないが、明らかに何かがおかしいという例が多すぎる。
例えば運動音痴で有名になってしまうと、そこかしこでその人の名がディスられるという模様である。
牛耳ってるのは、それこそ典型的なカースト上位人間である。
もっと厄介なことに、同調しないと明日は我が身。
だから、誰も止められなかったのだろう。これが怖いところ。
考えてみれば、そもそも人の能力値なんてそれぞれなのである。
何かに順位が与えられれば、最上位と同時に最下位が存在するのは当たり前で
誰かが必ずディスられなければならない必要性はあったのだろうか。
あまりに酷い為、自分には何もできないなりに教職員に相談したこともあるが
無かったことにされるか、面倒事には首を突っ込みたくない、スルーが一番
みたいな反応しか返ってこなかったので唖然とした。
結果的に学校側も見過ごしてしまっていた以上、当時「地区で一番荒れている学校」と噂されていたことにも頷けたのである。
特に八つもあった学校の中でワーストを飾ってしまうとかどれだけだったのだろうか…
今はSNSが発達し、現代では明るみに出やすい事柄も増えたかもしれないが、
現代だからといって問題がなくなっているわけでもなさそうだ。
既に「スクールカースト」で検索をかけるとあちこちでまだそれが蔓延っているように受け取れるし、
ネットでも「学校 笑われる」で検索すると闇は深い。
なぜそのようなことが起こるのか
恐らく、一つの理由に良くも悪くも「出る杭は打たれる」なのだろう。
出過ぎるとかえって打たれないのかは、よく解らない。
とあるブログに間違ってないのに笑われたという例があった。
勿論間違ってたとしても笑うのはおかしい行為だが、実に理不尽な話である。
(参考URL:https://moppism.com/jhs-reject-benefactor)
何かに劣っている場合だけでなく、何かに優れている場合にもこうしてアンチは現れる。
アンチの言動が行き過ぎると、かつてののニュースのように自殺者も出てしまう。
「叩かれるには原因がある」という言葉も聞くが、原因=100%悪とは限らないし、
原因さえあれば叩くことを正当化するのは違うのではないだろうか。
嗤われぬよう努力するのも個人レベルとしては大切なことかもしれないが、
頑張っても結果が出る人ばかりでもないだろう。
発達障害等、特殊な事情があるケースもありうるし、得意不得意は誰しもあることだ。
「スクールカースト」の話に戻すと、なぜ起ったのだろうか。
終わった時代の話である、と一蹴されるのであれば、待ったをかけたい。
「歴史は繰り返される」という言葉がある。
私は正直、誰かを笑いものにしていた人々がそのまま親になった後が恐ろしいと感じている。
世代が変わってもなお同じことが繰り返され続けぬよう、
これについて考え直すことは無駄なことではないとは思う。
背景として
推測だが、
①画一化による弊害
特に中学では、意味が解らないまでに厳しい校則の下、皆同じ格好をさせられるため、
身なりにおける貧富の差はだいたい隠れた。
すると、目立つのが学力や容姿等「個々のスペック」となり、差別の記号と化してしまっていたのも一つではないかと。
※制服の小学校も存する。
②寄らば大樹の影
各々が予防線を張っている場合もあるだろう。
集団を作ったり、力の強い者の方へ人が集まったりするのは、そこなのかもしれない。
学校に限らず、敵に回したら面倒そうな人には誰も歯向かわないだろう。
そして面倒なのは、大勢と同じ意見であることで安心を得る「右倣え」。
誰かを叩き、「赤信号皆で渡れば怖くない」という歪んだ仲間意識の影響力は半端ない。
裏を返せば、単体では色んな意味で強くもなく、
孤独を何よりも恐れている人間が主に取る行動なのかもしれない。
その他、自分の意見に自信がないから周りに流されるというのもあるかもしれない。
これは経験もあるので次の項目で具体例を挙げようと思う。
③サンドバッグ代わり
勉強や家でのストレスの矛先がそうなった、ストレス発散のための的が誰かになった。
それもありうるのではないだろうか。
生真面目なエリートが実はDVだったという話もどこかで聞いたことがある。
誰かを貶める行為としては、「下方比較」の心理もあるかもしれない。
(参考URL:https://rehabilinou.com/%E4%B8%8B%E6%96%B9%E6%AF%94%E8%BC%83%E3%81%A7%E5%84%AA%E8%B6%8A%E6%84%9F%E3%82%92%E5%BE%97%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8/ )
「メシウマ」「マウント」という言葉があるように、
「自分より下の人間を見ることで安心する」というのも残念ながら「人間あるある」だそうだ。
因みに、この対極にあるのが「嫉妬」なのだろう。
④参考資料
ネットでたまたま辿り着いた長野県立科町の広報の記事が興味深かった。
広報誌はたまに面白い記事があり、たまには余所の地域のを読むのも一興である。
『思春期は、気持ちが不安定で、人の気持ちを思いやることができず、目先の楽しさを求める傾向がある』
(広報たてしな H25年6月号11頁「一緒に考えましょう」
https://www.town.tateshina.nagano.jp/cmsfiles/contents/0000000/106/H250611.pdf)
どうやら年頃の特徴という背景もあるようだ。乱暴に言えば精神が未熟。
住んでる地域でもこういう記事出してくれないだろうか。こういうのを、配ってほしい。
自然界でも、突きまわされる特定の鶏がいたり、
(参考URL:https://globe.asahi.com/article/12538760)
魚の群れの中でも特定の個体を攻撃する現象があるようなので、
(参考URL:https://withnews.jp/article/f0150531000qq000000000000000G0010401qq000012045A)
ひょっとしたら本能のレベルで差別や迫害は簡単になくならないものなのかもしれない。
心理学あたりで掘り下げれば何かもう少しヒントが得られるかもしれないので
別の機会に調べてみようと思う。
ある意味、学校を卒業してからが勉強なのかもしれない。
こんなの絶対おかしいよ!
実際、「こんな人とつるむなんてどうかしてる」と言われたこともある。
誹謗中傷はネットの世界だけの現象ではないのだ。
「その子は悪い子じゃない」「ああいう所があるけど、実は良い子」
そう自分では解ってても、あまりの風当たりの強さに堂々とできなかった私も確かに居た。
その人のことを悪く言われて良い気はしないが、
自分の行動で逆効果になったら向こうも迷惑だろうと思い、「何もできなかった」に近かった。
勉学に励むための場所として、できるだけ学校では平穏に過ごしたいというのは共通意識というのは言うまでもない。
それだけならまだしも、
あまりにも大勢がディスるような人を認める自分が逆におかしいように見られるのが理解に苦しんだ。
自分の取った行動は、人目を気にして表向き極力慣れ合わぬようにするという、
窮屈で寂しいものだった。
思えば「公」の場面では素っ気なく対応してしまったことも多かったかもしれない。
多分向こうはもっと普通に喋りたかっただろう。自分の幼いところだった。
立場は違っても、声の大きい方に流されるだけ。付和雷同。
それではある意味ディスっている側と全く変わらないことに後に気づいてしまった。
しかし、嫌われ者(一部認めたくないけど)の自分が関わることで相手が周りに何か言われてしまったりでもしたらもっと嫌だったのだ。
小中高、仲の良い人がいなかったことにおいては学年一という自信だけはある。
どんなに成績が優れようが運動神経が優れようが、人を貶めることでしか自己を保てない人より、
何かに劣ってたとしても歪んでない人の方がずっと尊敬できる。
そう思う証拠として、表にこそ出さないがそうやって悩んだ自分が居たのもまた事実である。
周りの反応に過敏すぎるのは良くなかったが、大切な人を守りたい気持ちも確かにあってのことだった。
…悩んだということはそれだけ「どうでも良い人でなかった」ということだったのだろう。
そこは自信を持つべきだった。
少なくともディスる人たちよりはその人の長所を見つけられていたということを。
ディスる人は、表面上でしか人を見ていなかったのだ。
結局自分はどうしたのかというと、この流れでは内容が反れてしまいそうなので
裏ブログのパンドラボックスに残ったのもの 他 内「①パンドラボックスの中に残ったもの」に綴った。
実際に遭った差別
自身も被害に遭ったことのある一人である。
前項で触れた二種のカーストにも関係しているかもしれない。
教職員編
①施設は何の為の所?
本当に具合が悪いのに、熱がないというだけの理由で保健室を追い返された。
学校に居場所がないという理由で保健室登校が認められた人も居たのに、それなのである。
渋々教室に帰ったが、ぐったりしてしまった。そうしたら、先生に怒られた。
教室までの道中、すれ違った先生に「顔色悪そうだけど大丈夫か」と実際言われた。
なぜ本当に必要な人が追い返されたのだろう。差別と感じた。
さて、古今東西「困ったときはスクールカウンセラー」とは聞くが、これもとんでもなかった。
とある人が毎回占領し、本当に使いたい人が使えない状態にされていたのだ。
その「とある人」を知っていた上で、本当に使うべき事態とて押しかけたことがある。本人が来たら勿論、「予約者はあの子だから今日はこれまで」と追い返されたのである。
実は本人に誘われて以前同席したことがあるから全て知っていた。
全然困ったことの相談でなく「お喋りor愚痴大会をしている」ということを。
しかも、先の先まで独占予約で埋まっていたのである。えこひいきである。
まあ、何を相談したところで「気にしたら負け」と流され自分には利用メリットがなかったが
②担任の役割とは?
お気に入りの学生には肩を持つ先生。
こちらが困って相談すると適当にあしらわれるのに、お気に入りの学生の相談は聞くのだ。
後述の複数人にいちゃもんつけられた件も、売られた喧嘩を買った方が悪いと怒られた。
「大人なんか信じられるか」とは思ったものだ。
小学校の部活では、退部願いが通った人も居る中、こちらの退部願いはとうとう受理されなかった。
(先輩など意地悪な人が居てつまらなかったし、顧問の差別も凄まじく、体育館の扉の前で固まってしまう程しんどいものでしかなかったという心理的な理由が大きかったのだが。)
辞める権利はこちらにあるし、自分の代わりなどいくらでも居たのにも関わらず、である。
余談だが、後に親同士が知り合いと判明し先輩の態度が改まったという怖い話もある。
学年編
特に何かでドベを取ったという事実もなかったのだから、何かに劣ってたという感覚はなかった。寧ろ何に於いても、平均以下にはならぬように常に心掛けていたからだ。※
ゆえ、自分としては真面目にやっているのに文句を付ける外野がおかしい、納得いかないという認識でしかなかった。
※因みにこの心掛けは、あるとないでは大きく違う。心にどこか余裕が生まれる。
(別記事でも、このことについて書く予定)
転校や不登校にもならず、復讐としてその手を血に染めることもなく
無事学校全て毎日教室に通い詰められた理由の一つかもしれない。
m9(^Д^)
ちょっと授業に遅れたり教室の前を通っただけなのに
特に心当たりもないのにも関わらず、名前も知らない人に笑われり、
授業でちょっと間違えたりしたからといって、必要以上に突きまわす人間もいた。
(この克服劇については、過去のお題に投稿した記事で触れているhttps://eternal-rain.hateblo.jp/entry/2020/03/20/225248)
顔文字にするとこれ→m9(^Д^)
特に中学では、クラス内外問わずそんな感じであった。
後述のトラブルもそれを招いたのかもしれないが、そういうことが起こる前から既にそれであった。
これは被害妄想でも何でもない。
そもそも自分が敵意を持つのは自分の機嫌を損ねた相手に対しての場合しかなかったので、直接関わりのない人間から小石を投げてきたら「はて?」ともなる。
裏を返せばお互い関わらなければ何も起こらなかったわけである。
面白いことに、声が大きいと感じるのは大勢といる場合のみで、単独では脅威すらでもなかった。
そもそも、言ってることが筋が通っていない。一方的に言いたい放題をやってるだけ。
そりゃあ、何時まで経っても言われた側が納得するわけないのである。
面倒事の押し付け
挙げればきりがないが、面倒な係の押し付けもその一つだ。
いつも文化祭の時期になると実行委員の押し付け合いが始まった。
皆それにはなりたくなくて、勝手に実行委員になれない理由を述べて
NOと言えなさそうな人を名指しして(立派な差別である)、「残ったそこの貴方たちで決めなさい」「貴方がやれば」という方向に持ってかれたのだ。
しかも、係が決まるまで帰れないという。
係どうのこうのでなく「押し付け」に理解できなかったので、こちらは徹底抗戦した。
呆れたことに、クラスが替わっても同じことが起こったのである。
通常話し合いで決まらなかったらくじ引きかじゃんけんなはずだが、
埒が明かなかったら担任が指揮を執っても良かったのではないだろうか。
自身を客観視
前述でも触れた「原因」という考え方をするのなら、
・どっちかと言うならばカースト上位にいるような陽キャラではなかった(こういう言い方も嫌いだしかといって根暗なわけでもなかったが)
・他人と違う行動が見られる(一人で行動していたり等、後の項目に具体例を挙げる)
・言い返せなさそうに見られる所がある(後にスキル:反撃を覚えた)
などかもしれない。(ジョハリの窓」でいう自分が気づいてない所があることも否定しない)
万人に好かれる人間こそいないが、原因の全てがわかって対策できれば
始めから何の苦労もないのである
自身の言動を振り返り改めよという意見なら尤もだが、大勢から否定の言葉ばかり浴びせられる毎日を送っていたら心に余裕がなくなっても仕方ない。
その時が精いっぱいで、しかもその年齢では冷静に振り返っていられないと思う。
推測だが、中学に関わらず「それまで出身校が同じだった人間」が何か周りに良くない形で吹聴した可能性もある。(内容によっては出身校が同じだった人が関与していると考えれば辻褄が合ったからだ。)
さすがにでっちあげでしかない噂まで勝手に流されていたことは笑うしかなかった。
ソースはどこか問い詰めると、「なんとなく噂で」という根拠のない回答ばかりが返ってきた。周りもあっさり信じすぎである。
理由は何であれ、わざと大勢で特定の人を陥れようとするのは褒められたことではない。
やっていた方がされる側になったり、自分の子どもが将来貶められる側になったら、
大事な人がそんな目に遭っていたら、彼ら(彼女)はどんな感想を持つのだろうかと思わなかったことは無い。
肥えるフィルター、人一倍強くなる警戒心
かつてグループやクラス、学校が変わる前は複数でこちらをディスってたのに
状況が変わると何事も無かったかのように接してくる人間もいた。
それは他の人の間でも例外でなくて、そのような人々の光景は違和感を覚えずにはいられなかった。
いかにも「皆がそうしてるからそうした」らしいケースの多さ。
通常なら拒絶されると思うし、因縁の相手に自分から近づいていくのは無理がある。
勿論、そのような人間を信用することは難しい。
また都合が悪くなれば力の強い方へ流れると勘ぐってしまう。
自分の居ないところでは自分の陰口でも言っているのだろうと予想もつく。
直感でも「表面上だけの人か否か」は、だいぶわかってしまうものだった。
教室で一人になるのが怖いから・都合が良いから寄ってきたっぽいぞ、という具合に。
この感覚に狂いはなく、やはりそういう人たちとは校内だけのうわべの人間関係でしかなく、大変つまらないものであった。
所詮教室の中だけの暇つぶしとしかお互い思っていなかったに違いない。
「お互いのことを考えて表向き極力関わりを避けた例」と正反対である。
だから「友達は選べ」という言葉があるのかもしれない。
具体例
とある因縁のあるクラスメイトが派閥から仲間外れにされた。
(因縁とは、ある日突然心当たりもないのにいきなり取り巻き連れていちゃもんつけられたからである。証拠もないし、法廷ならばこちらが勝てただろう。)
突然何食わぬ顔で彼女は「移動教室一緒に行こう」と言ってきた。
ATフィールド展開である。
流石に都合が良いと思ったし、言うとおりにしていたら利用されるだけだと思ったので突っぱねたことがある。
「以前した言動を忘れたというのか」と。こちらに飛び火しても困るという気持ちもあった。
懲りてもらうためにも、最初からそういうことをしなければ違った対応をしていたのだということをハッキリ伝えて牽制したのである。
暫く様子を見たところ、態度は少し改まり、実害はないようだったので
普通に接した。
許したわけではないし、信用したというわけではないが
そのままにすると今度はこちらが悪者となってもしょうがないし
ペアワーク等、クラス内で協力しなければならない場面もあるので割り切ったのである。
固定観念に抗うということ
成長期特有の悩みだったのだろう。これは後日別の記事として記すつもりではあるが、
急に自分の性別を意識させられることばかりで、学生時代はずっと戸惑いが続いていた。
物心ついたときから女だと馬鹿にされたり差別で良いことがなく、自分の性別を好きになれない自分がどこかにいた。
男子だったらあれもこれも許されるのに、と思ったこともあった。
複雑だが、性同一性障害ではない。おっさん系女子とも少し違う。
ヘアピンや可愛い洋服に興味はあったし、気分で髪型を変えたりもした。
家は厳しく、スカートを履きたくてもいつもズボンを強制され頬を膨らませたこともある。
恐らく、女の子でいるぶんには大丈夫だが「本格的な女性」になるのは遠い世界のようなもので受け入れられなかったのかもしれない。
他の子のように早くから自分の「性」を受け入れられていられれば、もっと生きやすかったに違いない。
…自分の性別なんて大して重要とか思ってなかったり、自分に無関心だったのかもしれない。
自分のこういうところが変わり者だったのかもしれない。
何を言ってるのかというと、毛の処理とブラの問題だった。
戸惑い①
毛の処理については、小学校までは問題にならなかったことが、中学校からとたんに許されなくなるのがわからなかった。
しかも、中学になったら処理をするものだと全然知らなかったのだ。踏み込んだ話ができる友人の少なさよ…
だから中学では体操服は長袖が主流だったのかと後になって気づいた。
流石にビジネスが絡む年齢からは最低限は整えているし、
昔と違って今は各道具や化粧品、サロンなど選択肢はある。
が、当時学生だった。
家庭でも「まだ早い」「剃ると肌に悪い」「そういうのは良くない」と禁止されていた。
小遣いという制度もなく、親に歯向かえなかった。
多分、育ってきた環境が大きいのだろう。それ以上は内容が反れるので
パンドラボックスに残ったのもの 他 内「②透明な鎖」に綴った。
因みにアトピー持ちではないが肌も強い方でなく、こっそり目立たない部位でカットを試したら肌が悲惨なことになり、
以降毛も固く太く「とんでもないこと」になってしまい恐ろしくなった経緯もある。
実は敏感肌用の除毛クリームでも、今でもモノによっては今肌がちりちりする感じがしたりする。
こういう個人レベルの話になると周りはどうしてるとか、そういうのは全く気にならなかった。多分人一倍周りの人間に無関心だったのかも
だから、ほぼ無知のまま普通に「ありのままで」過ごしていた。しぬわけじゃないし的な。
元々毛が無い方でもなく、小学生のときから普通に生えているもので誰かに突っ込まれたこともなく、逆に生えてて何がおかしいのか、男子は許されているのに、とかえって理解が追いつかなかった所もある。
また、小学生のときに自分の性別は実は違うのではないかと思った位気にしていた時期もあったとは思う。親にスルーされたり剃るなと怒られたことがあったから放置するしかないのだ、ととっくの昔にトラウマが根付き、学生の間ずっと諦めてしまうことに至ったのかもしれない。
制服のスカートはチョゴリのように長かったし毛など誰も見ないだろうと思うしかなかった。
考えれば、肌は白めだったので思っていた以上に傍からは目立ってたのかもしれない。
恐らく「バイアス(ジェンダー)」の一つなのだろう。
傍からは「怠惰なだけ」「女子力ないだけ」と映るのだろうが、それもまた「固定観念」の一つである。
全く身だしなみを整えてないわけではない。
整髪料も禁止、家の経済に負担をかけない条件下で
ストレスで痛んだ髪の毛のセット等毎日悩んだり等々もした。
(髪のことで周りが色々言うので美容院に行ってなんとかしたいと言ったら、金がかかるとのことで家の者に却下された。)
周りはシャンプーの話をしていて、いち髪とか椿とか聞こえてきたけど私の家はいつも安いシャンプーで学生のうちからそんなに良いものは手に取ることが殆どできなかったのである。
顔の造形を変えるのも無理だし、自分の精一杯はこれでも尽くしたのである。
戸惑い②
ブラについてもそうだ。
体つきがいきなり女性になることが受け入れ難かったのかもしれない。
そもそも、私は女だからといって馬鹿にされたこともあるし、
女じゃないだろと性別を否定されたこともあったもので、「自分は女であってはいけない」、と思ったり「もしかして自分の性別は違うのではないか」と思い悩んでしまったことにもある。
男子を目指したいわけでもなかったが、「所詮女子の紛い物」としか自身を思えなくて
自分の性別は女子として胸を張れるかといえば微妙だったのだ。
まあ、多感な時期だったのだ。
勿論、最低限のエチケットは心掛けた。
見えてはいけない部分が透けないように、今でいう「ブラトップ」というものを着用していた。
一応検診の時も就寝時も着用できるし、
下着っぽくないデザインのものを選べば特に夏が快適で、ファッションの幅も広がるというメリットもあるのだ。
そもそも、ブラは肌が炎症を起こしてしまった。痒くなるし、跡がつくし、落ち着かない。そして、肩が凝った。
慣れの問題か選び方が間違っているのかと思いきや、そうでもなかったので断念した。
精神的な理由としては、
・そもそもそれをつけることで「胸」が大きく見えたり強調されるのが嫌
・着けてることが何となく周りに知られたら恥ずかしい
・家族に知られたくない
・着けてたら周りがキモいとか言いそう(着けなくても同じかもしれないが、女らしくしたらキモイと言われたらもう発狂するしかない。)
等様々。
実際ブラをつけ始めた人で周りからからかわれていた人を見たことがあり、ああ言われるんだろうと思うとできなかった。
「誰もいちいち気にしないだろう」という結論には至ったが、
流石に男子同士が「学年で胸が大きい女子ランキング」とか「女子のブラが…」と話をしているのが聞こえたときは恐怖を感じた。
実際バストサイズを尋ねてきた男子らには眩暈を覚えてしまった…
あまりそういうことに家の財布を頼ることもしたくなかったので、一番快適に過ごせるブラトップで通学していた。
これも育ってきた環境のせいだと思うが、そもそも私は大人に相談したり込み入った話ができる人間でなかった。
胸の形がどうとか聞いたことがあるが、どうせ老婆になれば言わずもがな、
子供の頭ではそこまでして胸の形を保つメリットがどうしてもわからなかったのである。どうせ誰も見ないだろうしという諦念もあったのだろう。
そして、「揺れて痛い」みたいな感覚すらよくわからなかったのである。あまり大きくなかったからかもしれないが。
勿論今は良い歳なのでTPOはきちんと考えている。
これらの戸惑いを表に出しても理解は得られぬだろう、と思い誰にも相談できなかった。少女漫画等で言うならば「告白したいけどできない」みたいな心境に近い。
もし本当のことを言って叩かれでもしたら、私は正気を保っていられただろうか。
当時私は、多様性を認めない社会に問題があるとしか思えなかった。
声にしないのだから、事情は誰も知りえないのも当然である。
恐らく、誰にも見せなかった本来の自分だろう。
チキンにもほどがあるとは思うが、時間の解決を待つほかなかったのだ。
そんなことがあり、誰もハッキリ言わずとも、多分それらのせいで周りには奇異の目で見られてた所もあったかもしれない。
私はどこか性別に囚われない生き方をしたいという思いがあったのかもしれない。
女子はかくあるべき、とかいう風潮はちょっと窮屈に思っていた。
かといってミニスカであぐらをかいたりしてもいいと思うわけじゃないんだけれども。
ただそうやって周りの子の普通の感覚が自分の普通と違ってたり、自分の性に体して寛容でなかったり等々の事情があるのにディスられようものなら
「女らしくしなければそんなに私には人権がなく無価値なのか。」と叫びたくなる私も居たのである。
…校則に触れることは何もないし、事実上、個人の自由だったのだけれども。
因みに振袖も袴も身に着けたことがない。ウェディングドレスにもさほど興味がない。変わってると言われるのだろうか。
(本当に着たければバイト代でレンタルなりしたところなのである。)
しかしファッションに無頓着なわけではないのだ。
自身を振り返ってみる
綺麗ごとを並べるつもりもない。上から批判できる立場でもないことは承知している。
前の項目のように、間違ったことが起こっていても止めに入ることもできなかった傍観者のまた一人でもある。
過ちはそれだけではない。
流石にカースト上位に入るタイプの人間でなければ群れるタイプの人間でなかったので
自分が受けたような規模のことに加担したことは殆どないが、
唯一、陰口(本人に聞こえた場合は悪口)に乗ってしまったことだけは自分の行ってしまった過ちであった。
先程のハニワの動画をまた持ち出すが、黒髪の少女「アリサ」は在りし日の未熟な自分に重なる。
どこか違和感を覚えながら、意気地なしだった時期もあり、そんな自分が一番嫌いだった。
自分の行動を正当化するつもりはないが、
その立場になったこともあるからこそ見えたものがあることも、また事実である。
パターン①:洗脳
例えば、クラスメイトに「Aさんはこんなこと言ってくるし最低な人」そう聞かされ続け、Aさんと接点すら持ったことがないのに、そういう風に認識してしまったような節があった。
自分はAさんとは接触はなく害を与えたこともないが、Aさんはなんとなく察知したようで恨みを買ってしまったもようだった。
自分の行ったことは偏見であることは否定できない。私は間違っていた。
結局後に記すように合わせるのにはやはり無理が募り、そのクラスメイトとは絶交してしまった。
思えば、話したことのない人から冷たい態度を取られるというのはこういうパターンもあるのかもしれない。
いずれにせよ、自身も含めそういう行いは許されないことには変わりない。
パターン②:批判理由がわかる場合
だいたい誰かが誰かの批難を始める。この構図は、学校特有の嫌な「あるある」だ。
係をいつもサボる、押し売りをしてくる、いつも人の悪口を大声で言ってる…等々。
そして、言いだしっぺは問題の人物の前で普通に接していたりしたので、自分は違和感をよく感じていた。
じゃあ、言わなきゃ良いじゃん…と。
「それはひどい話だ」だけのはずだったのに、気付けば言いだしっぺのご機嫌を取っている自分が居たこともあって、疲れてしまっていた。
ああいう所を見ればそう言われるのも仕方ないし、実際叩かれている人から被害を受けた等々確かにあったが(因縁のクラスメイトの件とか)、それは免罪符にはならない。
この言動を見た周りが「○○があんなことを言ってた」と拡散しないとも限らないのだから、慎む方が利口である。
パターン③:個人同士の喧嘩だったはずが
クラス替えで丁度一緒になった部活での知り合い位1名と行動していたことがあった。
しかし、あまりにも人を都合よく扱う非常識さや人の悪口の多さに自分の限界は超えてしまい、喧嘩になった。陰でこちらの悪口も普通に言うほどの人だったのである。
するといつの間にかその人がクラス中から嫌われており、
少々調子に乗って彼女に必要以上に冷徹な態度を取ってしまった節が自分にあった。
彼女から発せられる暴言も相当なものだったため、「お互い様」としか当時認識していなかった。
そうなるくらいなら、本人と口を利かないで居続けたときの方がまだ賢明であった。
「自身を振り返って」の「解」
どちらの立場もわかってる自分だから得られた答えなのかもしれない。
自分も未熟な所が多かった。
妥協で構築した人間関係だから無理が生じたのだ。
無理に合わないと解ってる人に合わせる必要はなかった。
だから、クラスメイトとの喧嘩の例のように反発してしまう自分がいた。
明治大の教授も『表面的な友達は、いざという時に助けてくれない』『友達は無理に作るものではない』等々、尤もなことを言っている。(https://doors.nikkei.com/atcl/wol/column/15/112800113/060100007/?P=4
誰かをディスってなきゃ保てない友人なんて友人でない。仮初のものだ。
汚れるくらいだったら最初のように孤立してれば良かったのだ。
間違ったことをしていなければ、それは孤独というより孤高である。
そうしたらそうしたで目をつけられやすいというデメリットがあるのも承知だが
間違ったことをしてなければ人間として問題ないのだ。
「私は関係ない」「悪口に巻き込まないで」そう思っても、それを表に出せば
「誰の肩持ってんのか」と叩かれる理不尽も知っている。
いわば、踏絵。これは非常に面倒くさい。
同情も許すつもりもないが、こちらに向けてまるでトマトを投げつけるようなことをしてきた人達もどこか同じ心理だったのかもしれない。
人間は承認欲求があり、賛同してもらいたいという願望があるというのは聞いたことがある。
一応、言いだしっぺにはなったことがないが、「言いだしっぺたちは言っていることを支持してほしかったのだろう」という見方もできる。
自分が疑問を持つような言動をしている人は、放っておけばただ堕ちていくだけである。
授業で組まなければならない場面だけはお互い割り切る。それは今でいう仕事と同じ。
それくらいの距離感で良かったのだ。
ペアワーク嫌だとか○○と同じ班になった!とか言ってたような人は、認識がよっぽど変わらない限り、恐らく社会に出た後苦労するタイプだったりして。
ちなみに、同級生の中で「人生で一度も人のことを大勢対一でのけものにしたりそれに賛同したことのない人」はどれくらいいたのだろう。
いずれにせよ、自分はは世渡り上手でもなかったのは事実である。
右に倣えの疑問
電車のマナーとか、全員が守れば誰にでもメリットがあることなら守って良いと思う。
というか、人を批判しないのもマナーの一つである。
ずっと思ってた。
「気の合う人が周りにいないから一人でいたら可哀想な人扱いされるのは何故」
「女子はこうあるべきと思われるのは何故」
「音楽の話になると歌謡曲は聴かないのと聞かれるのは何故」とか。
捻くれかもしれないが、元々多くの人間が普通と認識することに対し
疑問を持てる少数派の人間だったのかもしれない。
こちらも基本、こちらに害がなければ他人が何してようが無関心だ。
能力値云々趣味嗜好、価値観に正解はない。
かえって皆と同じじゃつまらないし、個性が潰されるのは窮屈だという見方もできる。
もし姿形能力が全部同じ人という世の中だったら、かえって怖いとさえ思う。
見えない圧力に潰されないためには、個人が意識するしかない。
流されぬよう、しっかり自分の意見を持つしかない。
人は変えられないからこそ、である。
同時に少数派は迫害されることが世の常であることは頭の片隅に置いておきたい。
結局は少数派として弾圧されようとも意志を貫くか、大多数に屈するかのどちらかしかない。
正直に生きるのは心地が良い
流石に犯罪になるような性癖等はアウトである。
逆に、犯罪じゃなきゃ生き方は自由なのである。
「他者依存ありき」は向いてない。「同調しなきゃ」は疲れる。
味方をどれだけ囲い込むかゲーム。違和感を覚え続けている。
そんな自分で居たくなかった。
ディスる人もいるのに、ちゃんと服とか髪型を褒めてくれた人もいた。
そういう人を大事にすれば良かったのだ。
思えば、うわべだけでしかない人の口からは、世辞にもそういう褒め言葉が聞こえたことはなかった。
味方がいなくたって、間違った方向に行ってしまうのなら一人がマシ。
本当に気の置けない人が一人でも居ればそれで十分。
自分はそういうタイプの人間だ。
だから、無理に群れることをやめた。メアドも整理した。
よって人の悪口とも無縁の状態になり早幾年。
厳密に言うとメアドの整理はこちらから縁を切ったのではなく、
①今思えば過去大人げない言動をしてしまった自分がこれからどう接していいかわからなくて何も返せなかった
②過去最悪な人間関係だった時期があってその人をどこか警戒している節がある
③そのうちフェードアウトするのだろう、としか思えない
そのような人しか居なかったからである。
それからは気が楽だった。
何をどうしてもディスられるのなら、自分のしたいように生きる。
こう書いてしまうと非社交的かつ協調性迷子に見えるかもしれないが、
かえって割り切った人間関係を構築できるようになった。
職場の派閥だの悪口だのというものとも無縁である。
下記のブログでも、ありのままの自分を否定しないことが大事と綴られている。
「他人の気持ちを理解することの難しさ。」これ、本当によくわかる。
一番怖いことは無知
人それぞれ価値観がある限り、人がみんなわかり合うのは不可能。
『どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ。』とは、ドラえもんの有名な名言である。
自分だって今も知らないうちに差別なることをやってるかもしれないし、
言われてみれば世の中全ての価値観を受け入れるのは難しい。
それもわかった上で、まとめていくうちに色々考えさせられた。
例えば愛の形はそれぞれなのだし、同性愛自体は悪とは思わないが、
BLが生理的に受け付けられるかというと別の話だ。
心身共に健康な人を採用する、結婚相手への条件とする、そういうことは果たして悪と言い切れるだろうか。
そう考えると複雑になってしまうが、
「こういう人もいる」ということを知ることが大事なのだろうと思った。
一番やってはいけないのは、事情を少しも知ろうともしないで人を批難することだろう。
したがって自分は、疑問を持つ前に「理由として考えられることはないか」と考える癖をつけるようにした。
ちなみにスクールカーストのことを調べたらあの構図は学校だけに限らないというのと、
皆仲良くはかえって無理だしかえって悪循環であるという視点もたいへん勉強になったので参照しておく。
(参考URL:https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/otonanswer/life/otonanswer-40203)
声の大きい方、意見の多い方=「正解」ではない
セカオワのRPGにあるように
『「世間」という「悪魔」に惑わされないで
自分だけが決めた「答」を思い出して』
出典:https://www.uta-net.com/song/145480/
まさにそれである。
この歌詞で、まるで目の前の霧が晴れたような感じがしたのだ。
現代ではSNSも発達し、「マウント」「SNS疲れ」という言葉も耳にする時代である。
「ウチはウチ、ヨソはヨソ」という言葉もあるが、
根底には「他人と比較にしても良いことは無い」という意味合いが含まれていたのではないだろうか。
思えば周りの反応を気にしてばかりで、窮屈だった。
周りの意見に流されたりと、失敗こそもあって、
それは自分への戒めとして、ずっと背負っていくだろう。
だから、きれいごと抜きで敢えてここに書いた。
おかしいことを可笑しいと思える感覚は大事。
間違ってないことは間違ってないと思える感覚は大事。
他人の意見に振り回されすぎて何かを見失ってはいけない。
RPGの世界観で言うならば、するのは大後悔でなく大航海なのだ。
過去は変えられなくとも未来は変えられると人は言った。
自分を含め、「許す」必要もない。でも誰かを呪ったりもしない。誰かの不幸を望んだりもしない。
そして、過ちを繰り返さない。
自分ができることはそれしかないのだ。
あの歌詞の一文は、生きやすくなるためのヒントになるかもしれないと感じたのである。