雨と箱庭

明日は明日の風が吹く。

ふんばるずで快適作業!姿勢改善の新しい方法

買ってよかったものは「ふんばるず」

パソコンを長時間操作しているとだんだん前かがみになって姿勢が悪くなるのか疲れる。

そんなある日、かわいいぬいぐるみが雑貨屋で売られていた。ウサギ、ネコ、ペンギン、ナマケモノ。いろいろな種類の動物が揃っていた。これを机の間に引っ掛けるだけで正しい姿勢が保ちやすいというアイテムだった。

これで疲れが軽減するのなら、と購入してみた。手触りが良く、そこに居るだけでも癒された。パソコンを操作していると一緒に画面をのぞき込んでいるようにみえるのでそれもインスタ映えしそうだ。

使ってみたところ、画面から適度な位置まで目を離した状態でパソコンを操作する姿勢を保つことができていると感じた。ぬいぐるみが居ることでそれ以上前かがみになることもなかった。

ぬいぐるみの手触りと姿にも非常に癒されるので、贈り物にもかなり良いと思う。

買ってよかったと思うものだった。

 

 

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買ってよかった2023

混ぜるな危険 PMSと八つ当たり 

PMSという言葉を耳にしたときから長い年月は経っていないと思う
 
個人差が大きいようで、周期に伴ってイライラする感覚とは何か知らない立場にいた。しかし、歳を取ることでそれがどういうことなのかわかるようになった。理由もなく一人になりたい、悲しくなる、原因不明の苛立ち。一度どうしてそんな気分になるのか考え、カレンダーを確認すると周期由来のものだと気づくことで冷静になるという経験は一度や二度ではない。
 
一応私はずっと月一にくるもの自体が受け入れられなくて(性を否定したい気持ちに近い)10代の間は何度も自分の下腹部を殴り続け、ないものとして考えることもした。やがて人生の長い間付き合わなければならないものと諦めたほうが楽になり、それに伴う憂鬱な気持ちも同じように向き合っていくものだと考え今に至る。
かといってマイナスな感情なので重い人は本当にしんどいだろう。人によってはヒステリーを起こしたり自傷や凶暴化するケースもあるという。それを和らげる薬などが浸透してきた現代を思えば希望を私は少し感じる。
 
少なくとも10代の間は知らなかったし習わなかったと思うが、もっと早く知ってればと思ったことの一つでもあった。PMSに苦しむクラスメイトと修学旅行中に喧嘩をして班にとっては最悪な思い出になってしまった過去があるからである。
その日はいつも穏やかなA子(仮名。文集では「優しそうな人ベスト3」に名前が挙がっていたと記憶している。)が何を怒って自分にだけ無視をするのか全くよくわからなかった。理由を尋ねると「生理中で気が立っている。」とのことだった。
だが私はその理由に納得いかなかったのだ。A子は他の人には普通に接していたので、本人は私が嫌いで縁を切る適当な口実にしたと考えたほうが自然だったというのもあった。女子の人間関係は闇多し
 
学校で話す程度の仲に過ぎなかったので固執はなかったし、距離を取るべきだった。
しかし校外学習では協力しなければならないことも多い。率先して資料を配ったり、表面上だけでも穏便に過ごそうという努力も虚しく、A子の非常識な態度は悪化。周りもA子を咎めないし、「A子は昔から子供っぽい所あるから大目に見てあげて。」とまで言われたのである。
 
やはり友達と呼ぶには微妙な立ち位置の人間と長丁場を共にすることは簡単ではなかった。みんなで写真を撮ろうという話になったときのことだ。私は記録係になることを申し出た。
「そうはいかないでしょ。班なんだからさ。」
ね?と班の子たちは口々にそう言った。
「A子が嫌がるし写真は私抜きにして撮れば良いじゃないか。」
私はとうとう堪忍袋の緒が切れた。A子の言動で嫌な思いをしていると相談しても誰も受け止めなかったくせに、という気持ちが冷たい言葉となって口をついてしまった。
卒業も近いし嫌な記録として双方に残るなら写真は一緒じゃない方が良いだろうとさえ思ったのだ。
「A子も一緒に撮るって言ってるよ?嫌ってなんか言ってないって。」
他の子は慌てたようにフォローしていた。折角の修学旅行なのだからぶち壊したくなかったのだろう。私もせめて旅行中は波風立てぬようにと行動していたが、3日目を経てその反動が我慢できなくなってしまったのだ。結果避けていたことを起こしてしまった私も子供すぎたと反省している。
 
結局私はストレスと寒さで体調が悪くなり、写真を適当に撮ってさっさと切り上げることになった。室内に戻ると体調が治ったので担任に連絡するまでにはならなかったが、班にとって良い思い出ではなかっただろう。
このとき、PMSを知っていれば最初の時点で「そんなことで…」と思わなかっただろうし、本人をそっとしておくのが最善策だと対処できたかもしれない。
 
旅行が終われば人間関係が終わることは承知していたが、A子含め周りは何事もなく普通に接してくれたことだけは意外だった。本心では皆に嫌われていてもおかしくないが、少なくともハブやいじめのようなものはなかった。落ち着いたころにA子が謝ってきて、卒業時にもう一度謝ってきたのだ。
私はA子に対して咎める気持ちはない。ただ、人を傷つけて良い理由にしてほしくなかったことは確かだった。
 
結局私のせいで最悪な旅行として皆の記憶に刻まれてしまったことは一生背負っていかなければならない。写真たちは私の失態をありありと映し出していた。卒業後は合わせる顔がなく、彼女たちとは一切連絡をとっていない。また、同じ教室という場が橋渡しをしてくれただけに過ぎず、それ以上の交流となると合わないものがあると悟ったがゆえ深追いする気持ちも私にはなかったのである。
 
苦い思い出ではあったが、もしこれがあまりにも酷く人を傷つけそうになる心配が出るようなら前もってそっとしておいてほしいことを周知させたり、受診をためらわないことが大切なのだと感じる一件でもあった。
 
 
 

目を研ぎ澄まして

「人の良い所を見つけるようにしなさい。」

小学生くらいの頃に家族にふと言われた言葉を今日思い出した。

当時は嫌な人は何をどうしても嫌にしか見えなかったし、周囲こそ悪口とか人の嫌な所しか見てないじゃないか、としか思えなかった。

逆に「あの人と話が合うなんてあんた大丈夫?」と言われてしまうような経験もあった。

 

「昨日メールで送ったけど?」

ある件で上司に尋ねたらそう言われたのだ。

メールチェックはこまめにしているが、冷や汗をかいた瞬間だった。

しかし、迷惑メールフォルダも含め該当のメールは何処にも見当たらなかった。送信先は部署共通のメールアドレスだそうだが、誰も心当たりなし。どうやら送信忘れだったそうだ。

 

「探しましたが、ありません。」

暫くして声を発したのは、ある後輩だった。その後輩は消極的で、自ら動くタイプではなかった。「早くあの子を戦力に」と上から言われ戸惑う日々が続いている中、後輩の進歩を感じられた瞬間でもあった。

振り返ってみると、私は上に再送を頼もうと気が急いでお礼が丁寧に言えたかはわからない。こうやって私は自分のことですぐいっぱいになってしまいがちだ。それなのに後輩は頼まれなくてもメール探しを手伝ってくれた。周りに気を利かせることの難しさを知っているからこそ、嬉しかったことでもあった。

 

後輩は気遣いができる人だ。上司についても気難しい人だが、褒めるところはきちんと褒めてくれる。短所だけの人間はいないのは本当のことなのだろう。

先輩に後輩のことを話してみた。

「人は悪いところに目が行きやすいけど、そういう所も皆で気づいていけると社内は良い雰囲気であり続けられるだろうね。」と頷いていた。

 

ネットを見れば特定の何かに対してアンチや批判、炎上は珍しくない。誹謗中傷に追い詰められ耐えきれなくなる人も増え、社会問題となっている。人の悪いところばかり気にする悪い習慣が蔓延った結果なのだろうか。

 

「人の良い所を見つけるようにしなさい。」

この言葉はこの先ずっと受け継がれてほしい言葉である。

人の良いところを見つけられることが自分の長所の一つだと自信をもって言える人間をこれから目指してみようと思う。