雨と箱庭

明日は明日の風が吹く。

混ぜるな危険 PMSと八つ当たり 

PMSという言葉を耳にしたときから長い年月は経っていないと思う
 
個人差が大きいようで、周期に伴ってイライラする感覚とは何か知らない立場にいた。しかし、歳を取ることでそれがどういうことなのかわかるようになった。理由もなく一人になりたい、悲しくなる、原因不明の苛立ち。一度どうしてそんな気分になるのか考え、カレンダーを確認すると周期由来のものだと気づくことで冷静になるという経験は一度や二度ではない。
 
一応私はずっと月一にくるもの自体が受け入れられなくて(性を否定したい気持ちに近い)10代の間は何度も自分の下腹部を殴り続け、ないものとして考えることもした。やがて人生の長い間付き合わなければならないものと諦めたほうが楽になり、それに伴う憂鬱な気持ちも同じように向き合っていくものだと考え今に至る。
かといってマイナスな感情なので重い人は本当にしんどいだろう。人によってはヒステリーを起こしたり自傷や凶暴化するケースもあるという。それを和らげる薬などが浸透してきた現代を思えば希望を私は少し感じる。
 
少なくとも10代の間は知らなかったし習わなかったと思うが、もっと早く知ってればと思ったことの一つでもあった。PMSに苦しむクラスメイトと修学旅行中に喧嘩をして班にとっては最悪な思い出になってしまった過去があるからである。
その日はいつも穏やかなA子(仮名。文集では「優しそうな人ベスト3」に名前が挙がっていたと記憶している。)が何を怒って自分にだけ無視をするのか全くよくわからなかった。理由を尋ねると「生理中で気が立っている。」とのことだった。
だが私はその理由に納得いかなかったのだ。A子は他の人には普通に接していたので、本人は私が嫌いで縁を切る適当な口実にしたと考えたほうが自然だったというのもあった。女子の人間関係は闇多し
 
学校で話す程度の仲に過ぎなかったので固執はなかったし、距離を取るべきだった。
しかし校外学習では協力しなければならないことも多い。率先して資料を配ったり、表面上だけでも穏便に過ごそうという努力も虚しく、A子の非常識な態度は悪化。周りもA子を咎めないし、「A子は昔から子供っぽい所あるから大目に見てあげて。」とまで言われたのである。
 
やはり友達と呼ぶには微妙な立ち位置の人間と長丁場を共にすることは簡単ではなかった。みんなで写真を撮ろうという話になったときのことだ。私は記録係になることを申し出た。
「そうはいかないでしょ。班なんだからさ。」
ね?と班の子たちは口々にそう言った。
「A子が嫌がるし写真は私抜きにして撮れば良いじゃないか。」
私はとうとう堪忍袋の緒が切れた。A子の言動で嫌な思いをしていると相談しても誰も受け止めなかったくせに、という気持ちが冷たい言葉となって口をついてしまった。
卒業も近いし嫌な記録として双方に残るなら写真は一緒じゃない方が良いだろうとさえ思ったのだ。
「A子も一緒に撮るって言ってるよ?嫌ってなんか言ってないって。」
他の子は慌てたようにフォローしていた。折角の修学旅行なのだからぶち壊したくなかったのだろう。私もせめて旅行中は波風立てぬようにと行動していたが、3日目を経てその反動が我慢できなくなってしまったのだ。結果避けていたことを起こしてしまった私も子供すぎたと反省している。
 
結局私はストレスと寒さで体調が悪くなり、写真を適当に撮ってさっさと切り上げることになった。室内に戻ると体調が治ったので担任に連絡するまでにはならなかったが、班にとって良い思い出ではなかっただろう。
このとき、PMSを知っていれば最初の時点で「そんなことで…」と思わなかっただろうし、本人をそっとしておくのが最善策だと対処できたかもしれない。
 
旅行が終われば人間関係が終わることは承知していたが、A子含め周りは何事もなく普通に接してくれたことだけは意外だった。本心では皆に嫌われていてもおかしくないが、少なくともハブやいじめのようなものはなかった。落ち着いたころにA子が謝ってきて、卒業時にもう一度謝ってきたのだ。
私はA子に対して咎める気持ちはない。ただ、人を傷つけて良い理由にしてほしくなかったことは確かだった。
 
結局私のせいで最悪な旅行として皆の記憶に刻まれてしまったことは一生背負っていかなければならない。写真たちは私の失態をありありと映し出していた。卒業後は合わせる顔がなく、彼女たちとは一切連絡をとっていない。また、同じ教室という場が橋渡しをしてくれただけに過ぎず、それ以上の交流となると合わないものがあると悟ったがゆえ深追いする気持ちも私にはなかったのである。
 
苦い思い出ではあったが、もしこれがあまりにも酷く人を傷つけそうになる心配が出るようなら前もってそっとしておいてほしいことを周知させたり、受診をためらわないことが大切なのだと感じる一件でもあった。