雨と箱庭

明日は明日の風が吹く。

彼岸花の便り

先週ごろから彼岸花を見かけるようになり、彼岸の時期の到来に気づかされた。

この花を見ると、自然と故人のことを思い出すのは毎年のことである。

 

「お線香あげたって、お墓に何度行ったって、生き返らないじゃない。」

私が中学生くらいの頃、色々募った感情の果てに祖母と親に放ったセリフだった。

 

私の叔父は、小学生のときに亡くなった。

よく映画に連れてもらったり、たまに遊んでもらったり、お土産を貰ったりしたのでそれが初めて身近な人が亡くなった経験だった。

 

祖母は息子を早くに亡くしたのがショックだったそうで、母は毎週末のように祖母宅へ訪れては面倒を見ていた。

父からは母らを支えるよう言いつけられ、私も毎週末のように連れられてはそのサポートをしていた。

 

とはいえ、私にできることは少ない。手伝い以外は、宿題及び自主学習をするだけ。

ただそれ以外にすることがなかった。田舎の祖母の家は本当に何もなかったのだ。

机に向かっていれば大人から怒られることもないことも事実だった。

 

もうそれは退屈とだけは表現し難い。

車で1時間ぐらいで行ける距離ではあるが、朝早くから出発し、帰宅は日が暮れる頃で、連休になると泊りがけは基本であった。私の自由な時間はなかった。

 

当時唯一心を許せる同級生が一人だけ存在していたが、休日遊ぶ約束に誘われると、

「休日はおばあちゃんの家に行くに決まってるでしょ。支度なさい。」

と母が険しい顔で反対するので毎度断るしかなかった。

大人の言うことを聞かないと、どんな目に遭うかわかったものではなかったからだ。

 

学校へ行けば、心当たりがなくとも毎日のようにクラス内外問わず誰かが嫌がらせをしてくる。それよりはマシと割り切るしかなかった。

が、その歳に家でも学校でもストレスだらけの私の心は荒天と化していた。

 

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叔父は気難しいし、祖母と同じでいつまで経ってもどこか小さい子供扱いされるのが正直嫌だった。

祖母も、死んだ叔父のことばかりでどこか私を大事にはしているようには見えなかった。

 

それでも私を可愛がろうとしてくれる人間は大事になさいと母は厳しかった。

祖母たちは、私にはいつまでもかわいい子供で居てほしいのだと悟ってしまった私は、当時極力大人びないよう、見た目だけでも子供らしくあろうとした。

例えば胸を殴って極力潰そうとしたり、ブラに抵抗感を持ってしまい、パッド付キャミソールしか着用ができなくなってしまったのもそうだ。

 

私はただ、生きている私を大事にしてほしかっただけの話だ。

私を私として見てほしかった。失望されたくなかった。ただ、それだけのことだった。

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祖母宅へ行く度、必ず墓参りに連れられ、一日に何度も仏壇に線香をあげるのが決まりだった。

 

生憎、私には何の信仰心もない。勿論、信仰やその信者までを否定するわけでない。

葬儀に行っても、墓参りに行っていること自体も叔父自身にはわかる術もないだろう。

他の子たちは自由に友人らと遊んでいる傍ら、私は自由な時間をなくしてまでしても死者は絶対に生き返らないことはわかっていた。

気づけば虚しさばかりが沸き起こっていた。

 

ある日、線香をあげなさいと祖母と母に呼ばれ、どうしても気が乗らず遅れてやってきた私を母は叱った。

反抗期というよりは、色々我慢し、疲れてしまった成れの果てだろう。普段大人に反論しない私は、珍しくものを申した。

 

「線香さっきやったじゃん。生き返らないのに怒るのなんで?」

墓参りしても、そう。大人を責めるというよりは、ただ日頃の疑問として口にしたのだ。

「せめてもの供養でしょう。どうしてあんたにはそういうの、わからないの?」

結局母に叱られてしまった。勿論、私は納得いかなかった。

 

その後、高校生まで週末のルーティーンは続いた。

そういえば、あちこちの先祖の墓行くたびに祖母がその人の生前の話をたまにしていた。

曾祖父など私の知らない人の生前の話を祖母から懐かしむように聞かされると、それまで誰だかわからない墓にただ手を合わせていたのだが、そのとき不思議な気持ちになった。

 

思えば、葬儀などというものは信仰や故人を別とすれば、残された遺族のためもあるのかもしれない。大切な人を亡くし、悲しみに暮れている人の元へ色々な人が集まれば心細さも違うだろう。

また、墓参りや線香をあげる行為そのものに意味があるのでなく、故人を思い出すきっかけとしての形の一つなのではないか。

後に自分が出した答えである。

 

今はコロナ禍ということもあり、逆に行きたくても行けない状態である。

墓に行かずとも、線香を手にせずとも、故人のことを思い出せばそれはそれで供養の形でもあるだろうと考えた。

こうしてまた、彼岸花を見て思い出すように。