今週のお題「最近見た映画」
それまであまり映画を見なかった私。
気付いたら10年以上の時が経っていた。
話題の「鬼滅の刃 無限列車編」を見てきた。
結論。映画で見れて本当に良かった。
今回映画を見に行こうと思い立つ何かがそこにあったのかもしれない。
コロナの自粛疲れで気晴らしがてらにたまには映画を、という気分になっていたのかもしれない。
結果的にコロナで鬱々としたムードのこのご時世だからこそ、映画を見に行けて良かった。
最初に行った劇場は席がソーシャルディスタンスとして間隔を空けているため、荷物も置きやすく知らない人と離れていることによりむしろ快適であった。
本当は初日あたりに行きたかったが、大混雑が予想できたし
休暇を取って平日の中途半端な時間に行く方が子供連れの声が気になったりしないだろうと思ってあえて平日に行った。
もちろん特典等々は終了していたが、館内は空いており映画に集中することができた。
初日に時間休取ってグッズだけでもと覗いてきたが、すでに売り切れたものも多く
やっとお目当てのキャラのアクキーが買えたぐらい。既にそれも最後の3個程度だった。
昔映画館に行ったとき、前に背の高い人が居ると見づらいのが難点だった。
(年齢による背丈のせいもあったのだろうが)
が、全然前に人が座っても画面が全部見渡せた。座席の座り心地も良かった。
10年ひと昔とはこういうことだろう。
そして映画を観て大変なことになった。
エンディングが流れるとそこで鳥肌が立ってしまった。
映画やテレビ、小説で泣いたことのない私が静かに涙を流していた。
エンドロールを直視できなかった。
しばらく動けなかったし、腰が抜けてしまって席を立つところから帰るまで足元がおぼつかない感覚になった。
そして、暫く何も手に付かなかった。
主題歌は初聴から神曲だなと思っていた。
卒業シーズンにも合いそうな、別れがあっても未来への希望を唄った歌詞である。
が、映画を観たからこそそれがとんでもないほど神格化してしまった。
これを聞くたびきっと涙せずに居られなくなるほど。
CDは既に売り切れだったので単品ダウンロードで購入した。
曲名の「炎」というワードからもう煉獄さんそのものを表していることはなんとなく感じ取れていたが、映画を見るとその印象は変わってくる。
魔法少女まどか☆マギカの新編の主題歌でもよく言われていた「映画を見る前と後で異なった印象になる」という、まさにソレ。
映画公開前の特番で声優陣がハンカチは必須と言っていた意味がわかった。
卒業式でさえ泣くこともなかった私は多分泣きやしないだろう…と思ったのに。
むしろ館内ではすすり泣く声やハンカチを取り出す人も居てもらい泣きかもしれない。
なんとなく卒業式で泣く人の気持ちがやっとわかった気がする。
そして、映画は一度行けば満足してしまう私が2度行った。
そして、3度目を計画中である。しかも2度目はIMAX版を見に行った。
見比べたところ、炭治郎の耳飾りの揺れる音とか、予告でも有名な「美味い!」のシーンでむしゃむしゃ食べる音…といった細かい音がしっかり聞こえてきた。
スクリーンが大きく、音と迫力が楽しめたし(特に戦闘シーン)、
まるでスクリーンの裏に声優さんが居るんじゃないかって程キャラがすぐそこで喋ってるような臨場感が味わえた。
作画良し。音楽良し。
さすがufo、TVシリーズでも思ったけど美術のクオリティ高い。
映像で見たからだろうか。今回主役の煉獄さん。超好きになってしまったぞ…
男女からもモテそうなキャラだ。
記念に何か手元に置きたいと思い、再入荷のパンフを買ってしまったほど。
映画のパンフとか買ったの初だ。しかも迷わず豪華版の方にした。
先日のくじの景品と並べてみた。
なにもかも初すぎて何年経っても印象に残るだろうな…。
よし、円盤出たら絶対予約しよう
てかもう一回見たい。
以下感想まとめ。
以下に綴ることはネタバレ注意である。
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まず列車内の厭夢との対決。
ここで感情移入してしまった。
誰しも戻りたい過去の一つや二つ、あるのだろう。
乗客の中には敢えて理想の夢を見たいがために鬼に加担する者も居た。
その気持ち、痛いほど分かりすぎた。
でも。一つだけ言えることは、どんなに戻りたい過去があったとしても戻れないこと。
炭治郎が夢だと悟ってここに居たいと思いながらも家族を振り切るシーンで胸が熱くなった。
ごめん、でも行かなきゃって後ろ髪引かれるシーン。
みんなのことは忘れないから許してくれって泣く泣く振り切るところ。
「もう一度あの笑顔が見れたら」と今では叶わないこと等々人には多かれ少なかれないだろうか。
過去は変えられないけど忘れない。
例えば、私に一番強く残り続ける記憶は、元をたどれば全て「人の温かさに触れた記憶」だった。
そうか、炭治郎のように「せめて自分の中から失くさなきゃいい」。
もうこの時点で見て良かった。
炭治郎が優しい心の持ち主ということがよくわかる内容でもあった。
小人のシーンは勿論、
自分を刺した車掌にも怒ることはなく、列車の下敷きになっている所でもう罰は当たったのだから助けてあげなきゃ、ってところ。
この負傷も重なって戦闘困難に陥ってしまう事態となってしまったのに、何て優しい子なんだろう。
許せる心を持てる人間って立派だ。簡単にできることじゃないもん。
予告通り触手の気持ち悪さも迫力があった。
こんな気持ち悪い生物と戦うとか並みのメンタルじゃ無理だろうな。
厭夢の断末魔でなぜかこうしくんをイメージしたのは私だけだろうか。
やはり一番印象に残ったのは猗窩座が出るところから。しかも中の人は聞いただけでわかった
列車での善逸もカッコ良かったのだけれども、
猗窩座と煉獄さんかっけえ!と思わずには居られなかった。(どっちを応援しているんだろう)
そもそも、鬼滅って嫌いなキャラクターが逆に思いつかない。
炎柱も強いのだが、上弦の鬼がいかほどに強いか映像を観て印象付けられたと思う。
こんなんどうやったら逆に倒せるのさ!って感じ。
逆に上弦が集って鬼殺隊を襲撃しちゃえばひとたまりもないと思えるほどだ。
加勢したいけど加勢できない炭治郎たちのもどかしさもすごく伝わってきた。
むしろ負傷がなくともそこに踏み込んだ時点で今の炭治郎では即死必至だったろう。
悪い人ではないが人目を気にせず大声で弁当を何の耐久かと思う程美味いと言い続けながら頬張ったり、人の話を聞かなかったり…と最初のトンデモな印象がどこかに行ってしまうほど、
人間として隊士としての誇りを通し、皆を守り切った炎柱の姿勢がカッコイイの一言では言い表せない。
負ける気がしないってぐらいの勢いと頼もしさだった。
物語の序盤でも語られたように鬼はいくらでも再生するが生身の人間はそうはいかない。ズルいところである。絶対に人間は不利である。
だからただ単に強さを求めるなら敢えて鬼になってしまった方が得と考える者が出たとしてもおかしくはないだろう。
それでもそのような化け物に立ち向かう人間は、だからこそ美しい。
そういえばまどマギ本編でも頼もしい先輩キャラが無双した矢先にマミったりしたシーンもあったし、こういうどんでん返しがある話とか好き。
猗窩座も彼は彼で過去があると思うと憎めないのである。
むしろ鬼になる前の回想さえない厭夢が可哀想なくらい。クレイジーな思考だし罰としては妥当なんだけれども、良いキャラしてたし。何となく色気のようものを感じる所とか中性的な所とか。
鬼は悲しい生き物という言葉に尽きる。
…煉獄母が出たとき、なんとなく女版無惨をイメージしたのは私だけだろうか。
炭治郎が刀を投擲しながら叫ぶシーンも印象的だった。
確かにズルい。
逆に生身の人間がそこまで渡り合ったのだから煉獄さんこそ称賛ものだ。
それが炭治郎の言った勝ち負けの台詞なのだろう。
そもそも上弦が柱を何人も破ったというのだから人間が勝つ方がよほど難しいということになる。
台詞といえばあの悔しいな、で始まる名言!
乗り越えてもまた壁が立ちはだかる。それな。
だからこそ人は成長しつづけることでもあるんだろうけども。
もうあの人の勇姿は観れないのだな。
映画でそこのストーリーを取り上げるのも良い意味でズルい。
寧ろ不憫だろう。最初の見せ場が最後なんて。
鴉が伝令するところで嘘であってくれって思った。
わかってたけど、こんなひどい話があってたまるかよ…(褒め言葉である。)
本当に煉獄さん好きになる話だ。
ランダム封入グッズで煉獄さん引いたのあるけど、それ大事にしておこう。
私の中にも、炎として消えない物語であった。