今週のお題「卒業」
に挑戦してみる。
卒業といえば、お別れだろうか。
お別れといえば、どうしても悲しいイメージがある。
しかし、後の人生で知ったとある曲から
悲しいイメージばかりの「お別れ」を見つめ直すきっかけとなった。
目次
「お別れ」は二通りある
①もう二度と会えない人
②またいつか会えるかもしれない人
①は人生自体を卒業してしまった人である。
例えば、亡くなってしまった人がこれに当たるだろう。
会おうにも会えない。こればかりはどうしようもないのである。
私が十歳前後のとき、伯父が他界した。急死だった。口を揃えて皆「早すぎる死」と形容した。
伯父は気難しい所もあったが、映画館に連れて行ってくれたり、トランプで遊んでくれたり、よくお土産を私にくれた人物であった。
人生で初めて身近な人間の死は受け止めるのがやっとな歳で直面したが、
どう足掻いても「もうその人は戻らない」。それだけは理解していた。
②は、人生のある一点においての瞬間的なお別れである。
形は様々だが、卒業が一番多くの人が経験するイベントだろう。
昨日まで顔を合わせていた人との日常は、強制的に非日常と変わる。
思い出に深く残る人との別れであればあるほど寂しさも比例するのではないだろうか。
このエピソードについてはありきたりだろうし、とりとめがなくなりそうなのでまた別の機会にでも投稿するとする。
卒業式では泣いたことがないワケ
それぞれ二通りのお別れがあることは上記に述べた。
さて、私は卒業式等で一度も泣いたことがない。それはなぜか?
泣くほどの思い出がなかったことも可能性としてはあるが、
それはまた会えるかもしれない人間との別れだからである。
もちろん、中には二度と会えなくなる人もいたかもしれない。
しかし、人生の卒業生と違って、生きているのだ。この世に存在するのだ。
人生何が起こるかはわからない。
生きている限り、可能性は0%でないのである。
だから私はお別れで涙するのは、もうそれが叶わないとわかった時にしようとあの時決めたのだ。
とある曲とは
そのとある曲とは、BUMP OF CHICKENの「RAY 」である。
数年前の曲ではあるが、初音ミクとコラボしたこともあり、ダブルで衝撃を受けたことは今も記憶に鮮明に残っている。本当に鳥肌が立った。
歌詞の一部を引用すると
「 寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから」
(出典: http://j-lyric.net/artist/a000673/l030b34.html)
ここが響いた。
最初は歌詞の意味がわからなかったし、自分の勝手な解釈も入っているのだけれども、
寂しいと思える程の人との別れ、もっと言えば出会いがあったのだから寂しいことなんてないのだと。
今まで様々なお別れ(卒業等)があったけれども、
悲しいことだけでなく、ちゃんと温かくなれる何かも確かに自分のどこかに残ってる。
ある日その曲を聴いて気づいたのである。
そして、この曲の最後のフレーズを引用すると
「大丈夫だ この光の始まりには 君がいる」
(出典: http://j-lyric.net/artist/a000673/l030b34.html)
繰り返しになるが、お別れがあったということは出会いがあったことでもある。
人によってはいいイメージの別ればかりもないだろうし、それは私とて例外ではない。
しかし、私の場合はそれの全てが無意味とはどうしても思えない。
思い返せば楽しかった思い出。その時受けた恩。親切等。一時であろうとも、確かにあったこと。それらに私は救われてきた。
学んだことも沢山ある。ここは反省かな、あの時あの人はとても嬉しそうだったからそうして良かったな、とか。
その結果今の私が居る、と。
例え覚えているのは自分だけだとしても、決してそれは始めから無かったものではない。
私の全てはその出会いと別れによって形成されてきた。だから無意味なものではないのだ。
終わりに
お別れというのは、確かに悲しいこともあるけれども、
それだけじゃない大事な何かに気づかせてくれるきっかけのライフイベントなのだと。