雨と箱庭

明日は明日の風が吹く。

追悼集が愛すぎて泣けた。

仕事をしていると、誰かの人生に触れることがある。

 

そう言うと大げさかもしれないが、

最近、追悼集を作ることを決めたという人が居た。

 

それがすごく愛に溢れていて、ここに記さずに居られなかったのだ。

 

 

特定を避けるため、大まかなことしか書けないが、

追悼集を作るに至ったのは、娘を亡くした父親だそうだ。

 

癌によって2~4歳の年端もゆかぬ女の子二人を残し、

30代の若さでその生涯を閉じたという。

 

その追悼集の内容を少し拝見したが、

そこには家族、友人たちから彼女へ宛てた気持ちが綴られていた。

 

それは、夫や姉妹、伯父叔母等彼女と

「娘と縁のある全ての人」に父親が依頼して集まった文章なのだそうだ。

 

だんだん弱り、死へ向かう娘を見つめることしかできない父親の気持ちをはじめ、

感謝と別れを惜しむ彼女の友人たちの文章の数々を読むと、

彼女がいかに沢山の人から死を惜しまれる程素敵な人物だったかがうかがえた。

 

 

彼女は文武両道で複数の習い事に通っていたとのことであった。

おしゃれにも気を遣い、髪型から服装までぬかりなし。

 

彼女の友人たちの文章には「憧れ」「お姉さん的存在」と口を揃えて語られていた。

そして、笑顔の絶えない明るい人で話をよく聞いてくれる人だったとのことだ。

 

花、お日様と形容されたり、暖色の似合う女性という表現が合う…

という言葉から、全く知らなくてもその物像がなんとなく浮かび上がる。

最期まで気丈に振る舞い、笑顔を絶やさなかったそうだ。

 

才色兼備の上、エリート。そして名前も花のように綺麗な名前だった。

本当に、文章から素敵な人だったのだと感じた。

 

特に、沢山の友人たちの

「友達になってくれてありがとう」「ずっと友達だよ」

という言葉から、本当に彼女は沢山の人に慕われる人柄だったのだと感じた。

 

「これ以上素敵な人なんてそうそう見つからない」と綴られている文章も印象的だった。

それほど魅力的な人だったんだろうなと。佳人薄命とはまさにこのことか。

 

 

そして、遺族の愛を感じるのが資料編として

癌のことや現代の主な治療法、その治療が受けられる病院、癌によいとされる食べ物。

これを原稿用紙何枚分という量で、全て調べ上げたことがまとめられていた。

沢山の本が出典として紹介されていた。

 

きっと、癌を治すために遺族が沢山調べたのだろう。

その文章量から彼女の病を治すため自分たちにできることに全て注いできたのだと

感じ取れた。

これを愛以外に何と言えるだろうか。

 

そして、同じようなケースで命を落とす人がいないように

早期発見、セカンド・サードオピニオンは大事と綴られていた。

 

しかし、現実はどこまでも残酷であった。

 

とても内面まで綺麗で、幸せそうな人生を送っていただろう人にも、

終焉というものは容赦のないものである。

 

本当に人生何が起こるかわからない。この世の理不尽の一つである。

 

一つ言えることは、

こんなに死を悼む人が大勢居るということはきっと幸せなことだと思うし、

それだけ彼女が素晴らしい人で

周りの人にとって大きな存在だったということだ。

 

会ったことも、話したこともないけれども。

彼女のご冥福をお祈りする。

そして、ご遺族の方がいつまでも健康でありますように。

 

 

 

今は特に大きな病気や怪我がなくとも、

自分や周りの人間がいつどこで死ぬかわからないものだと改めて感じた。

 

私は彼女のような立派な人間でもないし、頑張ってもきっと追いつけやしない。

でも、もう子供のままで許される時代はとっくに終わってしまった。

社会人として恥じないどころか、手本となる人間にならなきゃいけない。

 

今の私ができてるのかは、わからないけど

少なくとも人を憎む回数より、人の幸せを喜べる回数が多くなってきたような気がする。

かつての私からは想像つかないと言われちゃいそうだけども。

 

言えなくなる前に、身の回りの人にちゃんと感謝を伝えようか。

本当の意味で手遅れになる前に。

届くかわからないけど、ここにも綴っておこうか。

 

私がこうしてあの文章の数々に触れたこと。

こうして思ったことを文章にできるようになったことも。

きっと意味のないことではないと私は思っている。