「己に厳しく、他者には寛容に」という言葉があるように
自分に常に厳しくあることは美徳とされている。
それはずっと教わってきたことだ。
自分よりひとまわりも、ふたまわりも上の世代ならもっと厳しく常識として幼少の頃から既にインプットされてきたことだろう。
自身を甘やかさないことは大事である。己を律するのは大事である。
現状に満足してしまってはそれ以上は何も成長しないからである。
確かに学校も正直色々面倒であったが、社会もまた別のベクトルで面倒なことも多い。
色んな世代や価値観の人間が存在することがよくわかるからである。
もちろん「面倒なこと」のバラエティも富んでいる。それだけ井の中の蛙だったということである。
が、それだけ手本になるような人に会うこともあるということでもある。
いつしか、ひとまわりもふたまわりも上の世代に意外な言葉を投げられたのが衝撃的だった。
「あまりストイックすぎてもいつか自分が疲れてしまいかねない。たまには自分の頑張りを褒めてあげることも大事だ」と。
特に弱音を吐いたわけでもないが、真面目も度が過ぎると毒となりうるらしいことを注意喚起してくれた。
私の知る年上という名の大先輩方は「根性が足りん」「努力不足」、という言葉が好きそうな印象しかなかったので意外だったのだ。
正直私は最初ピンと来なかった。
自分には厳しくするものだ、自分を褒めては甘やかしではないのか?ナルシストになってしまうのではないか?と。
しかし、だんだんとその言葉が染み入ってくるようになった。
真面目にやってても、こちらは悪くなくても理不尽なこともあるだろう。
手本にしたくない社会人の姿だって珍しいものではない。
他人はつまるところどうにもならないので、
これにいちいち腹を立てたり悲観していては無駄だしかえって損でさえある。
このあたりの切り替えの大変さがストレス社会と呼ばれるのはよくわかる。
怒りたかったところだが、怒らなかった自分に拍手。
ズルしている人を見かけても、ズルしなかった自分は(客観的に見て)正しかった。
あの言葉を受けてから随分経つが、そうやって今まで考えたことのないことを考える自分に気づいた。
ピンと来なかったあの言葉の意味がやっとわかったようだ。
他人の言動でモヤモヤやってるより、
自分はその中でどうベストを尽くしたかに気持ちを向ける方が嫌な気持ちにはならない。
更に「頑張ったから、週末は美味しいものでも食べよう」
と楽しみを作っておけば、週末の楽しみのために頑張れるし、
多少それまでに失敗があっても立て直しかのように「週末あれ食べてリセットするのだ!」
と少し気が楽になる。
楽しみになるものなら、気になっている商品の発売日でも何でも良い。
浪費はいけないが、ケチりすぎてもストレスは溜まる。
ゲーセン行って数百円のプレイだけでも気分がだいぶ違う。
兎に角気持ちのベクトルを正の向きに変えるためなら何だっていいのではないかと。
自分を正当化する目的にしてはいけない。
かといって誰の言動に目を瞑るわけでないし、おかしいことはおかしいと思うのは大事である。
そのあたりの判断を狂わせてはいけない。
実行も簡単でないし具体的という線引きが示せるものではないけど、
凝り固まっててもいけないと感じた。
ありがたいと思えた大先輩の言葉だったので、こうしてネットに公開した次第である。