雨と箱庭

明日は明日の風が吹く。

ある師に思いを馳せて

新年早々暗いニュースが続いている。
 
報道や地震警報は過去の震災のことが思い起こされ、何年経っても反射的にびくっとしてしまう中、地震の被害があった地方の名で一人の先生のことが思い浮かんだ。
もう遠い話だし1年だけお世話になった先生だが、定年で帰ると言っていた地方だったのだ。
 
もう良いお歳だろうし交流はないため、どこでどこでどうしてるかわからない。だが、その先生のことはよく覚えている。
厳しく近寄りがたい印象の先生であったが、教え育てようといった情熱的な気持ちが伝わる先生だった。出会ってきた先生たちはほぼわかりやすいくらい事務的だったので、尚更印象に残ったのかもしれない。
この先生にもっと色んなことを教わりたいと思ったので、1年だけというのがとても惜しかったと今でも思う。
 
理科や社会は選択科目だった。でも将来どうしたいのかわからず、どちらにするか悩んだ。一度選ぶと卒業まで変えられないとこのとで、今ほどネットなどの情報源もなくかなり悩んだことを覚えている。
誰のアドバイスか忘れたが「生物か地学なら地学のほうが生きるうえで役に立つことが学べるかもしれない」とのことで結局地学を選んだ。
 
先生は偏差値が高い学校で教鞭をとっていたということもあり、自分には必死で食らいつかないと厳しかった授業だった。
定期考査の問題はハイレベルの試験を参考にして出題されたりと、他の教科の定期考査がむしろ簡単すぎて大丈夫かと思うレベルだった。
 
あまり数字は好きじゃないのでこの選択に後悔したこともあり、そうこぼしたのは私だけでもなかった。
同じクラスになってから知り合った人々はほとんど生物だったため、選択の理由を聞くと皆口を揃えて言った。
「生物の方が覚えるだけで簡単。地学は難しい。」
以上が人気の理由だったそうで、兄弟姉妹などのネットワークでその人たちは情報を得たということだった。
 
ある日本当にこれがわからない自分はまずいと思うことがあって、すぐ次のクラスへ移動してしまう先生を捕まえて聞いたことがあった。聞いたら恥かもしれない内容だったかもしれないが、私の実力がそこまでだったのだと思う。
呆れられるかもしれなくても、次の授業へ向かう先生を呼び止める質問でないかもと思っても、どうしてもそのままにしたくなかった。
結果、問題は解消された。次の授業開始の鐘が鳴りそうになっても教えてくれ、
「わかったか。」
と言った先生はとても教えがいがあるといったような表情を浮かべていたと思う。ものわかりが遅い私に対して決して苛立つこともせず。私は聞いて良かったと思った。聞くは一時の恥とはそういうことだったのかもしれない。
後ろを振り返ると何人かが私の後ろでノートを手にして聞いていたので、みんなで聞きに行ったような図になっていたのも少し面白かった。
 
先生は教科書では詳しく載っていないことについても色々教えてくれた。特に津波は時間差でやってくるから油断しないでほしいということや、反対側からやってくるものや入り組んでいる場所の被害の例こと、火砕流など見えない恐ろしさの存在など。
「まだ解明が進んでなくて今習ったことが将来覆されることもあるかもしれない、少なくとも日本が沈むという昔あった説は大丈夫だから安心するよう。」など。
 
私は結果、先生の授業を選択して良かったと思う。特に災害のことは知っておけば身近なことになってしまっても落ち着いて行動できることもある。
とても短い期間のことなので私のことは覚えていないかもしれないが、先生の教えてくれたことは今でも覚えているし、先生の教えが生きているのならそれが先生の本望でもあると思う。
 
たまたま今回は影響がない地方にいたとしても明日どこで何がどうなるかわからない。
世界を見ても穏やかには見えない。物価の上昇は止まらない。それを言ったらいつどこで人生が終わるかわからないが気にしすぎても生活ができない。
新年は後悔のない今を過ごすことを抱負としたい。